出雲路と381系やくも旅行記~前編~

2024/03/04

381系やくも コラム


制作室長老の翼です。
今回の通信は私の娘と出雲路と出雲路を走るやくもの思い出を紹介します。それはまだ、サンライズが走り出す遥か以前のお話…

「おとうさん、この絵本買って」
娘がまだ幼稚園に通っていた頃の出来事で、正月の初詣に訪れた神社での事。社務所の破魔矢の隣に並んでいた絵本を娘は指差したのでした。

神社庁が発行する子供向け絵本

その本は日本書紀を子供向けに絵本にしたもので、娘はその内容にかなり興味を持ったらしく、寝るとき以外はその絵本を見入っていました。中でも素戔嗚がヤマタノオロチを成敗し、クシナダヒメを妻に迎える場面はかなり興味を持ったらしく、また、その好奇心は絵本だけでは収まり切れず、素戔嗚神話の地へ連れていく羽目にまでなってしまうことに。

春休みに3日間の予定を組み、早々、寝台特急出雲のB寝台のチケットを妻の分も含め獲り、早速、東京駅へ。当時は東京駅発のブルートレインは16:37の発のさくらに始まり、23:00発の銀河まで10本ものブルートレインが健在で8番線、9番線の専用ホームを活気づかせていたものでした。


東京駅の出雲1号発着のホームへの階段を登ると、ホーム上ではちょうど「はやぶさ」の発車アナンスが流れており「お見送りの方は危ないですから列車から離れて下さい」と緊迫したアナンスに娘が驚いていました。


実は今回の旅は娘にとって初めての鉄道旅。初めて見るブルートレインと、自宅最寄り駅の私鉄のホームでは決して出会う事のない情景に衝撃を受けてのでしょう。

そんなホーム上での喧騒を打ち消すように「はやぶさ」を牽引するEF66が発車の汽笛を鳴らし、動き始めると、彼女の視線は重厚感のある音とともに動き出したEF66に視線を奪われ釘付けになっていました。


そしてEF66の重厚感のある音はカニのディーゼル音に変わり、その後、車内でくつろぐ乗客の姿がホーム上の彼女の前で線路のジョイントの音と共に流れていきます。「はやぶさ」が去った後、ブルートレインが持つ、今では決して味わう事が出来ない独特の存在感に圧倒されている娘の姿がありました。


はやぶさを見送った後の娘からは、「すごい音のした車両(電源車カニ)はなに?」、「ロビーカー?」、「A寝台、B寝台ってなに?」と立て続けの質問攻めにあう私。そして、後日、子供向けのブルートレインブックをせがまれる事になるわけです。


「はやぶさ」が発車してから我々が乗車する出雲1号が入線するまで、20分程あるので駅弁を買いに行く事にしました。娘にとっても初駅弁になるので、最も駅弁らしい駅弁をと、ホーム上の駅弁売り場ではなく、わざわざ地下通路にある崎陽軒の販売所まで赴きシューマイ弁当を購入しました。

この崎陽軒のシュウマイ弁当は、かつて駅弁容器の代名詞だった木の薄板の経木折りを採用しており、おそらくは東京近郊では、この崎陽軒のシュウマイ弁当だけという理由だからで、特に経木の折箱に詰められた白米は、プラ容器のものでは決して味わえない独特の味わいをもたらしてくれます。そんな駅弁という食文化を娘に味わってほしかったからです。ちなみに駅弁の友といえば、昔ながらのポリ容器のお茶ですが、さすがに東京駅では缶のものしかありませんでした。


シュウマイ弁当を抱えてホームに戻ると出雲1号が入線していました。「機関車が違う…三角の方がかっこいいね」三角とはEF66の事で、女の子であっても東京発着のブルトレ牽引機として希少な存在のEF65PFよりも流線型(三角)のEF66の方がかっこよく感じたのでしょう。そしておもむろに牽引機に近づくと、出雲の図柄のヘッドマークをカメラで写す娘がいました。

これから乗車する出雲1号は浜田行きで、出雲1号の2時間半後に出雲3号出雲市行きが運転されていました。これは出雲と同じ上下2本立てのあさかぜと並び利用率の高いブルートレインという事です。また、出雲1号は、はやぶさの銀帯とは異なる金帯の帯を巻いた車両で、銀帯よりも1段高い内装になっています。


我々が乗車する号車に乗り込むと、隣が食堂車だったため、まずは食堂車の車内の見学です。本来ならば、駅弁を帰りに回し、食堂車での夕食と洒落込みたかったのですが、すでに食堂車は休止しており、娘も残念がっていました。この時は、私もオシ24-700の細かな知識を持っていなかったため、取り敢えず大まかな説明を娘にしたように思います。

それから時は立ち、娘も大学に通っていたころ、私はメイクアップシールの制作に携わっており、金帯あさかぜのオシ24-700の内装を詳細に調べ上げ、製品化したことを思い起こすと不思議なめぐり合わせ感じざるを得ません。


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トピックス
1978年(昭和53年)出雲・やくもの食堂車で日食米子による「大山おこわ定食」などの郷土メニューが登場し、寝台特急出雲の名物として大人気を得たが、国鉄の合理化や食堂従業員の不足などの理由から1988年(昭和63年)6月30日で「大山おこわ定食」は終了。1991年(平成3年)6月1日に食堂車としての営業も休止となってしまったが、その原因の一つに郷土メニューの廃止が夕食時間帯の食堂車の利用者減少につながったという見方をされるほど、郷土メニュー「大山おこわ定食」の人気は高かった。
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食堂車から戻ると列車はちょうど東京駅を滑り出したところで、娘は初めての開放寝台のベッドやベッドカーテン、読書灯に興味を奪われていましたが、有楽町を発車し、並走する山手線に気付いたようです。

時刻が午後7時過ぎと山手線の車内は帰宅のサラリーマンで少々込み合っていて、優雅に過ごす出雲の車内の雰囲気とは対照的で、時折、山手線の乗客と目が合うと目のやり場に困っている娘がいました。これは在来線特急ならではの光景で新幹線では味わう事が出来ないものですね。

また、時には初めて出会った向かいの席の人とビールを呑み交わしたりすることもあった開放B寝台。こうした昔ながらの飲みニケーションも無くなってしまったことに一抹の寂しさを感じます。

この後、娘がトイレに行きたいというので、B寝台御用達の給水器の存在を教えるのに丁度いい機会だと思い、車端部の洗面スペースに案内しました。

この給水器とは飲料用のもので、左右トイレドアに挟まれるように設置されており、折り畳み式の紙コップで飲料するもの。サンライズエクスプレスに乗車する若い女性たちには、トイレ壁面に設置されているため、不衛生に感じられるかもしれませんが、寝台特急が旺盛だったころは、この給水器の存在は致せり尽くせりのサービスでした。

今回は、〈出雲路と381系やくも旅行記~前編~〉についてお届けしました。
後編に続きます。

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鉄道模型の車内再現用シール「メイクアップシール」を中心に、製作室の様々な情報をお届けする続・富塚通信。メイクアップシールはオンラインショップからお求めください。※本ブログ「続・富塚通信」に掲載している2009年から2023年3月までの記事は、FC2ブログに掲載していた「富塚通信」の記事から、メイクアップシールの内容のものを中心に移行したものです。 また、2023年4月から2026年までの記事は、wordpressにて公開していた記事を移行したものとなります。移行に当たって情報が古いものや変更したものなどは削除、または加筆修正を行っています。そのため、記事の内容が繋がらない場合もありますが、予めご了承ください。

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